電車のガラスに映る自分。
シートに背中をもたれかけながら
どこか張り詰めた空気をまとっている。
常に
緊張の糸を切らさないよう
気が抜けない体。
褒められることなく
常に注意され続け育った後遺症か。
特にひどい虐待にあったわけでもない。
ごくごく平凡な家庭に育った。
真綿で首を絞められる様な息苦しさ。
自分で動こうとすると自由に手足を動かせれないもどかしさ。
そういう感覚が日常だった。
自信のなさ。
いつ
何を指摘されるかという緊張感。
ずっとそんな気持ちと並走してきたんだ。
それを
まざまざと見せつけてくれる
ガラスに映る自分。
一日出かけて疲れているはずなのに
ピンと伸びた背筋は見た目は悪くなく
すがすがしくさえある。
そんな自分がなんだか健気で愛しくなる。
がんばってきたんだねぇ。
ゆっくりするんだよ。
ガラスの向こうに
話しかけたくなる。
[0回]
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真実の裏にも真実がある。
カウンセリングを受けて
気づかされる。
最初はカウンセリングが
どのように成果のあるものなのか
疑心暗鬼だった。
何をもって終わりとするのか
ゴール地点もわからない。
でも
カウンセラーの一言で気が楽になった。
「自分の考えをまとめようとしなくていいですよ。
それはカウンセラーの仕事ですから。」
それを言われるまでは
お金を払った分だけの成果がないと!
と思うあまり
ちゃんと日記をつけて自分の考えをまとめておかなくては・・・
などどあせっていたものだ。
今は大船に乗ったつもりで
カウンセリングを受けている。
自分を発掘中。
[1回]
ようやく下げ止まりとなったようだ。
少し前までナーバスだったのがうそのようだ。
「しないといけないこと」
を優先するのではなく
「したいこと」
を優先するのが自分を大事にする一歩となる。
そこをなるべく意識するようにしてみたからだろうか。
うまくいってるかどうかはわからない。
同じことをやっていながら
ただ考え方を買えただけかもしれない。
同じ「そうじをする」ことでも
「きれいにしないといけないから」
と思うのではなく
「きれいにすると自分が気持ちよくなるから」
そう考えるようにしてみる。
そのほうが
言葉通りきもちいい。
そんなふうに過ごしていこう。
[0回]
どうも
落ち込んでいく自分を止めることができない。
ちょっと待て~
去年の今頃のことを思い出してみると
そのころよりは前進したはずなのだ。
一緒にいても
傷つけ合うだけだったではないか。
いい時もあった。
よく2人で合わせて1人前
なんていい合ってフォローし合える時もあった。
だけど・・・
生活を顧みず
人を傷つけながら
別の人とのつながりを最優先にする。
あたたかい手でわたしを突き放す。
平気でそんなことができる人と一緒にいてはいけないのだ。
さみしいから
こころぼそいから
そんな理由で簡単に後戻りはできないんだよ。
さみしくても
こころぼそくても
傷つける人はもうここにはいない。
カラッポの自分でもいい
どうやってでも
詰めていける。
どんなふうに
つめていったていい。
好きなもの
大事なものだけあればそれで十分。
よくばらなくていい。
そうやって言い聞かせなければ
いたずらに
落ち込んで悲しみに埋もれてしまいそうだ。
家を出たばかりのころは
明るい色をまとって
前を向いてイケイケドンドン。
肩の荷がすっと降りてかろやかだった。
最初の勢いが落ち着いたら
途端に失速して
あまりの身軽さに戸惑いうろたえる。
自助会に参加してみると
自分の落ち込みを少し客観的に観ることができた。
ただやっぱり自覚のないところで消耗は大きかったかも。
でもそれも大切なこと。
自覚なく注意力が散漫だと感じる今日この頃。
半端なく落ち込んで自信を無くしてしまうけど
精神的な黄色信号なんだから
こんなミスをするぐらい疲れてるんだ
という自覚の目安にしとけばいい。
もちろん
「こういうときだから」という言い訳は
仕事の場では通用しないのだから
どうすれば防げるのか
対策は講じなければいけない。
しんどい時の
身の施し方。
とにかく
持ち物は整理整頓を心がける。
「なくす」
「わすれる」
がわたしのアキレス腱。
カバンの中で持ち物の居場所を決めておく。
なかなか徹底は難しいけれど
ガマ口とインナーバックを駆使してがんばってる。
不器用なんだから
すぐにとっちらかっちゃうんだから
言葉も
物も整理整頓から!!
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